伝えたい「蔵」の記憶(66)硫黄山安田事務所精錬
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2014.1.13
佐野孫右衛門により、明治9年に硫黄の採掘が開始された川湯アトサヌプリ硫黄鉱山の経営は、後に山田慎から明治20年安田善之助に譲渡されます。従来小規模な前近代的な硫黄の生産体制でしたが、安田は資本を投入して事業規模を拡大し、近代的な生産体制へ変えています。釧路集治監の街標茶の釧路川河畔に近代的な硫黄の蒸気精錬工場を建設します。
当時の工場の様子を伝える北海道立志図録を見ると、精錬工場を中心とする施設、山元の鉱石を運ぶ鉄道、釧路川の川舟が見えます。生産、輸送が組織的に組み合わされている様子を伝えています。

硫黄山で採掘された原鉱の運搬のために、山元と標茶間に北海道で3番目となる全長40㌔の釧路鉄道を施設して、輸送の時間短縮と輸送量を改善し、工場で生産された製品は釧路川の標茶と釧路間に就航させた蒸気船により釧路へ輸送しています。
さらに釧路鉄道、精錬工場と蒸気船用の石炭の確保のために、釧路の春鳥炭山を開発します。道東の原始林を切り開き、近代的な鉱業生産が始められましたが、生産活動の拡大の中で、製品を釧路港まで運ぶ釧路川が果たす役割と、水運を支えるために悪戦苦闘をしながら創意工夫し、困難を乗り越えた先人の開拓魂の記憶が、釧路川に残されています。
安田の硫黄事業は、資源の減少により明治29年中止し、釧路鉄道も営業を休止しますが、硫黄の採掘はパルプ生産材料として継続されます。釧路黎明期の釧路川上流の安田の硫黄事業は、釧路の発展の基礎を築いています。



