その他 蔵の記憶
公開:2026/03/03 更新:2026/04/07

伝えたい「蔵」の記憶(62)釧路川

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2013.12.2

 明治初期の地図で釧路川の様子を見ると、河口近くにはオダイトと呼ばれた砂州、モシリヤの語源となった中島、アカブトと呼ばれた阿寒川の河口、広い川幅など、今では往時の釧路川を想像することが困難なくらい釧路川の景観は変わっています。

現在の釧路川河口のたたずまい

 写真は、幣舞丘陵の生涯学習センター、釧路川と幣舞橋、近代的経済センタービル、元日本銀行が並ぶ釧路の自慢の光景です。釧路川と幣舞橋は釧路市民の生活に溶け込み、日頃何気なく見ていますが、明治2年に蝦夷を北海道と改称し、釧路国釧路郡の名称が定められた開拓時代から現在まで釧路の変遷を記憶しています。

 釧路川は、屈斜路湖を源流として流長129㌔。途中には、オソベツ川、ヌマホロ川などの支流と合流して火山、丘陵、湿原を蛇行して、岩保木からは新釧路川に入り太平洋へ注いでいます。釧路川は、昭和6年完成の釧路川治水工事により旧本流の下流が断ち切られ、旧釧路川と改称されましたが、釧路市民の釧路川への愛着により、再び釧路川へ改称されました。

 釧路川には、未開の大地に夢と希望を持って開拓に取り組んだ先人のたくましい開拓精神と創意工夫があり、開拓時代に〝川の路〟として、河口の釧路と上流を結ぶ大きな役割を果たしています。釧路川には今では忘れられた釧路発展の記憶の跡が残っています。

 最近の釧路は、人口の減少と高齢化、産業構造の変化等により活力がありませんが、釧路川の記憶には先人のたくましさがあふれています、今は釧路川の記憶に学ぶことがあるように思います。

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