その他 蔵の記憶
公開:2026/03/02 更新:2026/03/30

伝えたい「蔵」の記憶(59)昭和7年学童祝賀

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2013.11.4

 昭和7年の釧路市は、新たな活力と躍進を願い市制10周年記念式典を開催し、町名地番の改正を実施しました。昭和7年ごろの幣舞町の官庁街の様子は昭和30年代まで見ることができました。

 昭和7年の地図を見ますと、幣舞町への道路は、富士見坂は無く、米町から浦見町、城山町から住吉町の坂、南大通からの支庁坂と出世坂と坂で結ばれた終点が幣舞町で、中世の城郭の天守閣のようです。支庁坂下の啄木ゆかりの近江屋旅館から支庁坂を上り森本歯科の前を通ると、正面の広場の奥に大正12年に釧路の都市計画の中心として建てられた威容を誇る釧路市役所(現市立図書館)と代書野尻、中村が並び、左側の入り口(現駐車場)には、明治44年の皇太子殿下行啓の宿舎となり、釧路には過ぎたる物といわれた公会堂、右側には大正12年建築された市立病院(現まなぼっと)が見えます。

 市役所の側を通り出世坂へ抜けると、大正15年に建てられたモダンな釧路警察署(現幣舞公園)が見えます。出世坂を警察署より上ると、右に明治43年開所の土木事務所(現三慈会病院)左側の明治43年に標茶から移転した測候所と税務署(現駐車場)が並んでいます。

市制10年記念誌より幣舞町の様子

 幣舞町には釧路の市民生活を支える中核機能がそろい、街並みの風景も威厳のある官庁街でした。昭和7年の幣舞の街並みは戦前戦後の困難、戦後の復興を釧路市民と共に支えています。また、先史時代、アイヌ時代から続く釧路の長い歩みも記憶しています。

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