その他 蔵の記憶
公開:2026/03/02 更新:2026/03/30

伝えたい「蔵」の記憶(57)市役所

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2013.10.21

 道東の拠点釧路は、明治、大正と驚異的な発展をし、大正9年7月1日に区制が施行、大正11年には市制が施行されます。釧路市史には、大正12年8月1日市役所庁舎が落成し移転すると記載されています。それまでの庁舎は洲崎町(現大町)でしたが、庁舎の老朽化、市街地拡大により大正6年ごろから庁舎の移転を検討していました。

 庁舎移転について「シテイプラン即ち都市計画より見れば、新市役所の位置は、都市計画の中心的建物である。幣舞橋河畔の高台に位置し、鉄道、海上の方面より中央で今後の都市計画は市役所を中心として諸施設を行うのも一策」との二木市長の談話が大正12年8月1日の釧路新聞に掲載されています。

 市役所庁舎は、本館の腰回りに十勝産の御影石を張り付けた近代的な建築で道内5都市の庁舎と比較しても遜色を見ることはないと庁舎の威容を報道しています。新市役所は躍進する釧路の発展と市民発展を願う未来へのシンボルの役割を果たしたようです。

昭和7年ごろの市役所庁舎の外観

 市役所庁舎が完成した大正12年の幣舞町には、公会堂、市立病院、土木事務所、治水事務所、測候所が並び、大正15年には釧路警察署が新築され、幣舞町はその後の釧路躍進を支える官庁街が誕生しますが、往時から受け継いだ先住民の遺跡は土木工事により破壊され消えました。

 市役所は、昭和40年11月に現黒金町庁舎へ移るまで幣舞の丘陵から、昭和初期の釧路の活況、悲惨な釧路空襲、戦後の混乱、十勝沖地震、戦後の復興と活況等を見渡しながら釧路市民と共に苦楽を記憶してきました。

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