伝えたい「蔵」の記憶(56)市立病院
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2013.10.14
幣舞町に釧路の医療の中核として市立病院が竣工したのは大正12年11月で、敷地は釧路営林署の官舎跡地でした。隣に市役所が大正12年8月に竣工していますから、大正12年の幣舞町では市役所、市立病院の建築のため大規模な土木工事が行われ、景観が大きく変わったと伝えられています。
市立病院は昭和59年9月に現在の春採湖畔に移転しますが、大正、昭和と約60年にわたり、2度の火災と戦前戦後の混乱期に、釧路市民の医療の中核病院として親しまれました。市立病院の歩みを見ますと、明治5年に当時の街の中心米町(現米町公園)に開設した公立釧路病院が始まりです。明治12年に焼失しますが、明治13年に再建されます。
明治30年代の釧路の市街地は、鉄道の開通と釧路港の修築による十勝方面からの雑穀類輸出基地、鰊の豊漁などにより市街地が西幣舞へ拡大しています。町立病院は、明治44年に人口が急増する西幣舞(現浪花町)に新築移転します。古老の記録によりますと、当時の釧路町民からは場所が不評のようでした。釧路に市制施行され、幣舞町に釧路の官庁街が誕生した大正12年、釧路の中心である幣舞町に市立病院が新築移転をしています。

写真は昭和7年の市制10周年記念アルバムに掲載された市立病院ですが、外壁に取り付けられた煙突が懐かしく思います。戦時中の昭和18年1月4日の火災で焼失し再建されましたが、昭和26年12月2日に再び焼失し、再建されていますが苦難が続きます。
幣舞町は行政と文化、病院が集まり、釧路市民の故郷のような町です。特に市立病院は釧路市民に多くの記憶を残しています。



