その他 蔵の記憶
公開:2026/03/02 更新:2026/03/30

伝えたい「蔵」の記憶(54)東宮殿下行啓

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2013.9.30

 東宮殿下は釧路行啓のため明治44年9月3日午後6時20分、御召列車で釧路駅(現在地交流プラザさいわい)に到着しました。釧路町民の歓迎を受けながら、釧路駅から御料の馬車で宿泊所の公会堂へ入りました。翌日は知人高台の野立所で釧路の物産陳列、釧路産の優良馬をご覧になっています。

 宿泊は釧路町民自慢の絶景の地幣舞に、行啓の宿泊所として新築された公会堂です。3日夜の奉迎は1500人の提灯行列、幣舞橋付近の釧路川には1万個の灯ろう流し、幣舞橋から頓化(とんけし)までの河岸1里には篝火がたかれ、川面は夕日に照らされるような美しい光景だったと、当時の釧路新聞の記事が伝えています。

明治44年9月4日付釧路新聞の東宮殿下御着のイラスト

 釧路町民の奉迎への準備は、非常にダイナミックな演出がされ、急速な発展をする釧路の活力が感じられます。暗闇の釧路川と幣舞橋で行われた篝火、灯ろう、提灯行列の輝きと町民の歓声を、幣舞の宿舎公会堂からご覧になる東宮殿下の様子を想像すると、当時の釧路町民が選択した公会堂の場所選定の趣旨と熱意が伝わって来ます。

 明治40年代初期の釧路は、明治42年に町民念願の釧路港修築工事の着工、2代目幣舞橋の架橋、釧路電気会社の創立により電気の点灯など、道東の中核都市機能の充実と漁業と木材の活況、人口の急増による市街地の拡大は、釧路町民に夢と希望を与えています。

 奉迎は幣舞町へ新築された公会堂を中心にして実行されましたが、東宮殿下の行啓と公会堂は、幣舞町に活力あふれる釧路町民の記憶を残しています。

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