その他 蔵の記憶
公開:2026/03/02 更新:2026/03/30

伝えたい「蔵」の記憶(52)出世坂

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2013.9.16

 幣舞橋の南は坂の多い街並みで、坂には昔から釧路市民に親しみを感じさせる名前が付けられています。ロータリーから三慈会病院への坂道も出世坂と呼ばれて市民のシンボルの坂道です。明治の初期から利用された坂ですが、坂の名前が時代の記憶を伝えています。

 明治初期は草の茂った寂しい坂でしたが、釧路郡役所、釧路警察への近道として利用され、郡役所裏坂、支庁裏坂と呼ばれていたと伝えられています。

 その後、明治44年の春に坂で凶悪な犯罪が発生し、被害者のおさよさんという婦人の名前が坂の名前となり「おさよの坂」と呼ばれています。

 市勢が拡大する大正時代の幣舞町は、釧路市役所、警察署、市立病院、土木事務所、公会堂があり、釧路の官庁街でした。坂の名前は春先にはドロドロ道で釧路でも一番の難所で、歩くのに苦労をしたために「地獄坂」と呼ばれていたと伝えられています。

 昭和になり、坂の名称が「出世坂」と変更になりました。釧路中学の通う学生が往復する坂なので、学生たちの前途を祝福する意味を込めて、変えられたと言われています。

昭和30年代の出世坂

 戦前戦後の幣舞町の官庁街は道東の中核都市釧路の行政の中心地で、多くの市民は、通勤、通学路として、勾配の急な出世坂を利用しました。

 現在の幣舞町は、市民の文化センターで多くの市民は整備されて、歩きやすく景色のよい出世坂を楽しんで歩いています。出世坂は釧路の移り変わりを記憶しています。

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