その他 蔵の記憶
公開:2026/03/02 更新:2026/03/30

伝えたい「蔵」の記憶(51)公会堂

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2013.9.2

 明治42年、皇太子殿下(大正天皇)の北海道行啓が発表され、釧路町にお出でになる殿下をお迎えするため、公会堂の建築を決定しました。場所は最も見晴らしの良い釧路支庁庁舎のある所で、釧路支庁庁舎を移転し、明治43年に着工し明治44年9月4日、皇太子殿下御便殿(貴人の休息所)に供した後、9月12日落成しました。場所は、現在の生涯学習センター駐車場です。

 釧路公会堂が完成した明治40年代初の釧路は、日清、日露戦役の後で、全国的に好景気と漁業の大漁と十勝方面からの農産物の集散、移住者の急増などにより、市街地の拡大、好景気が続き人口も急増し、明治42年には念願の釧路港修築事業に着手し、道東の拠点として躍進を続けていましたから、釧路を一望できる近代的な公会堂の完成は、躍進する釧路の象徴のようです。

昭和7年ごろの釧路公会堂

 写真は昭和7年ごろの釧路公会堂の様子ですが、木造和洋両様で、和室と洋室を備え、町・区の議事堂も兼ねていました。大正11年7月には摂政宮殿下(昭和天皇)が宿泊され、周囲が提灯で埋め尽くされたと伝えられています。

 公会堂は公に講演、議論を行う場という意味がありますが、釧路の政治、文化を伝える役目を果たしています。

 終戦後は被災した困難な時代に釧路の文化活動の拠点として釧路市民に夢と希望を与える公民館として親しまれました。完成から昭和32年までの約50年間、釧路の政治・文化の歴史をつづりましたが、幣舞の公会堂の記憶は今も受け継がれています。

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