その他 蔵の記憶
公開:2026/03/02 更新:2026/03/30

伝えたい「蔵」の記憶(50)釧路郡役所

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2013.8.26

 江戸時代より釧路の中心は、会所が置かれていた現在佐野碑園のある米町でしたが、新しい時代を迎えて行政の中心が移りました。

 写真は明治18年5月16日に現在の生涯学習センター駐車場に開庁した釧路郡役所の様子です。明治17年の釧路の戸数は、安場保和の「北海紀聞」によると、米町、真砂町150戸、オダイトオ40戸、知人20戸、幣舞30戸、浦見4戸、茂尻矢1戸と中心市街地から外れた浦見、幣舞丘陵は人家も疎らな未開地の様でした。

 当時はまだ未開地の幣舞に、門を構えた2階建ての洋風建築の郡役所と洋服を着た男性の光景は当時の釧路での明治維新を象徴しているようです。建築費用は武富善吉、豊島庄作、等の釧路の有力者の寄付金でまかなわれ、先人は釧路の未来と夢を託して太平洋と釧路川を望む未開地の幣舞丘陵に、新しい拠点をつくりました。

 明治10年代の釧路は、鳥取藩士族の移住、釧路集治監開設、釧路川左岸埋立、移住者急増に対応する市街地整備、釧路川への架橋等発展する釧路の都市計画の基礎を作成する時代で、釧路郡役所は未来の釧路の発展の礎えを築き今日に続く事業を計画、実行しています。

明治18年に開庁した釧路郡役所

 初代郡長宮千万樹は、春採湖を中心とする大公園計画、町の新設と釧路川左岸埋立、愛北橋の架橋など遠大な都市計画を策定、実行し、その実践は後世に評価されて、初代郡長宮本千万樹を顕彰して昭和7年に宮本町が誕生しました。釧路郡役所は、明治40年の釧路支庁誕生まで釧路の発展を支えています。

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