伝えたい「蔵」の記憶(49)ヌサマイ式土器
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2013.8.19
釧路川河口の丘陵の町、幣舞町は生涯学習センター、市立図書館、幣舞公園と釧路市民の文化活動の拠点の町です。幣舞町の歩みを見ますと、明治18年に釧路郡役所が建設され、その後釧路市役所、釧路警察署、土木事務所が集まり、釧路地方の行政の中心として、市民生活を支えていました。今から3000年~2000年前の縄文晩期の幣舞は先史時代の釧路の文化を伝えています。
縄文晩期の遺跡は、海岸に近い川口、川と川の合流に大きな遺跡が見られ、幣舞遺跡、緑ケ岡遺跡は1万平方㍍前後の規模で、釧路の代表的な遺跡ですが、遺跡の発掘により膨大な量の遺物が出土し、土器名にアイヌ語地名ヌサマイを採用して、ヌサマイ式と称されている土器が出土しています。
ヌサマイ式土器は多彩な器形で構成されている。深鉢を主体に、浅鉢、舟形、魚籠形、片口、皿状注口、双口土器等がある。文様は縄文が多用され、沈線文、縄線文、撚糸文等が施文されるのが特徴です。ヌサマイ式土器とその流れをくむ緑ケ岡式土器の出現は、道東の縄文晩期に土着の土器文化が復活したと記述されています。(釧路の先史)

写真はヌサマイ式土器の緑ケ岡で発掘された「舟形土器」です。シンプルなデザインに繊細な縄文様が施され、先人の技術に圧倒されます。このようなヌサマイ式土器を見ていると、縄文晩期に幣舞で生活をしていた先人にロマンを感じます。
ヌサマイ式土器は帯広、美幌など道東で発掘され、縄文晩期の道東の土器文化がヌサマイを中心として展開されています。



