その他 蔵の記憶
公開:2026/03/02 更新:2026/03/30

伝えたい「蔵」の記憶(46)ヌサマイチャシコツ

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2013.7.22

 モシリヤチャシコツ(御供山)、チャランケチャシコツの二つのチャシコツ(砦跡)は、アイヌ文化を伝える史跡として知られていますが、続佐藤直太郎郷土研究論文集に「釧路市内における失われたる先住民の遺跡の話」の中に、現在は生涯学習センター、市立図書館が建ち、釧路市民の文化活動の中心の幣舞町にあった「ヌサマイチャシコツ」が掲載されています。

 佐藤直太郎研究論文には、松浦武四郎の「東蝦夷日誌」によれば、ヌサウシの砦跡といって春採のウライケチャシを築いたトミカラアイヌの子タサニセの弟ペケレニセの居城であったと、当時の脇乙名メンカクシが語ったと書いてある。

 ペケレニセはメンカクシの祖父で、寛政時代に活躍したことが文献に見える実在の人物で、メンカクシも幕末安政年間を中心にして、時の政府の施政方針に従い、釧路地方開拓の事業に協力した功労者で、立派な大酋長であった。

松浦武四郎像

 チャシコツは元の公民館の所(現まなぼっと駐車場)にあったことをアイヌの古老から聞き取り調査をしてヌサマイチャシコツを紹介しています。チャシコツの場所に明治18年9月に釧路郡役所が建てられたために跡かたもなくなり、大正12年の市役所が建てられた頃には、この付近一帯の地形が一変したようです。

 釧路湿原を遠望し釧路川に守られた、釧路川左岸のヌサマイの丘陵の様子は変わりました。ヌサマイチャイコツ跡にはその後、行政機関の役所、公民館と変わりますが、幣舞の町名がチャシコツの記憶を伝えています。

前「幣舞の語源」    次「幣舞遺跡」

TOP