その他 蔵の記憶
公開:2026/03/02 更新:2026/03/30

伝えたい「蔵」の記憶(45)幣舞の語源

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2013.7.15

 幕末の探検家松浦武四郎とアイヌの蝦夷地探検像が釧路の街並み、釧路湿原、阿寒の峰を遠望している幣舞公園は先人の記憶を伝えています。

 昭和7年の町名地番改正の時に従来のアイヌ語が改正されましたが、開拓使の時夷語「ヌサウシ」を改め命名したる由緒を尊重して幣舞と称すと、釧路郷土史考に記載されて、幣舞町の町名は残りました。長年にわたり郷土を研究された佐藤直太郎は、「ヌサウシ」が「ヌサマイ」に改められたことに疑問を感じ、「ヌサマイ」の語源について「釧路叢書続佐藤直太郎郷土研究論文集」に掲載しています。

佐藤直太郎の幣舞の語源が掲載された論文集

 アイヌ語のヌサマイとは、ヌサは「木幣の複数」マイは「ある」を意味するが、松浦武四郎の「東蝦夷日誌」等の文献、釧路アイヌの古老への聞き取り調査により、幣舞橋詰の上流に石灰質の巨岩がありこれを「カムイ岩」と称し、岩の上方にヌサを建て、河を舟で上下するアイヌは岩の前を通過する時に礼拝、これをヌサマイと称し、釧路アイヌの伝えるカムイ岩の伝説により、ヌサマイの理由を解明しています。

 「ヌサウシ」と言わないで「ヌサマイ」と言うのは、ウシは「ある」物の所在を表す言葉であるが、マイは「オマイ」の「オ」を省略して「抱かれている」「含まれている」の意味で、ヌササンが岩に抱かれている状態に見えたので「ヌサマイ」と言ったと結論を出している。このようなアイヌ語の解明により、アイヌ文化の記憶を町名が伝えています。

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