その他 蔵の記憶
公開:2026/03/02 更新:2026/03/30

伝えたい「蔵」の記憶(42)筏

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2013.6.24

 釧路川をタグボートに引かれてゆっくりと上流へ向かう筏(いかだ)の光景は、見る人に懐かしさと安らぎを感じさせます。筏に組まれた輸入木材は釧路川上流右岸の水面貯木場に運ばれていますが、釧路の黎明期には釧路川上流の開拓地の原始林から伐採された木材が筏に組まれ、下流の釧路へ向かう光景でした、

 昭和30年代ごろの材木町、城山町の河畔に木材が積まれて、川に浮かべた木材を筏に組む巧妙な作業を飽きずに見ていたことを思い出します。明治、大正、昭和初期の釧路川の筏は、上流の弟子屈、標茶を経て河口の釧路港へ木材を運ぶ、木処釧路を象徴する光景でした。

 流送された木材は釧路川河畔の茂尻矢の軸木工場、製材工場等で加工、製材されて釧路港から国内、外国へ運ばれて釧路の発展に貢献しました。当時の筏は奥地開拓の入植者の夢の実現であり、本州から移住して来た筏師ら先人の力強い活躍で、釧路川河口にあふれんばかり集められた木材の筏の光景を見ると、先人の活力とたくましさを感じます。

 大正9年の大洪水を契機として、釧路川の治水工事が始まり新釧路川に通水が始まり、昭和2年には釧路標茶間の鉄道が開通して木材の輸送も河川から鉄道の時代となり、釧路川の流送筏は姿を消しますが、茂尻矢と呼ばれた材木町、城山町には戦後まで筏が見られ、茂尻矢の記憶を受け継いでいました。

 昭和38年の釧路川右岸に水面貯木場が建設され、釧路川河口から輸入材の筏が見られるようになり、「木処釧路」と茂尻矢の記憶が復活しました。

輸入材を筏に組んで水面貯木場に運ばれる現在の光景

前「釧路川左岸」    次「城山・材木町」

TOP