その他 蔵の記憶
公開:2026/03/02 更新:2026/03/30

伝えたい「蔵」の記憶(39)茂尻矢子供神輿

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2013.5.27

 茂尻矢(モシリヤ)は昭和7年の字地番改正により消えた町名です。釧路川沿いに発展した町、茂尻矢は木材の流送、マッチの軸木工場、製材工場などと関連する鍛冶屋、柾屋、馬の蹄鉄屋が並ぶ中に風呂屋、雑貨屋、米屋、豆腐屋、酒屋が道路沿いに並び、釧路の発展を支えた職人の街でした。

みこしを担ぎ練り歩く「子供みこし」の行列

 写真は釧路の夏祭り厳島神社の祭礼に繰り出し、元気な掛け声でモシリヤを練り歩く「もしりや子供みこし」の様子です。忘れられようとしていた町名の記憶が、元気な子どもみこしに伝えられていました。わっしょい、わっしょいと元気な声の子どもたち、沿道でみこしを応援する町内の人たち、みこしを先導する城山商店会の人たちと町内総出で「もしりや子供みこし」を盛り上げています。町内には紅白の幕を巡らしたみこしの休憩所が設けられ、町内の長老が集まり、縁日を準備して大人も子どももお祭りを楽しんでいます。

 茂尻矢時代の街には、工場の騒音、鍛冶屋の槌音、路地裏には子どもの声があふれていましたが、最近では街中で遊ぶ子どもの姿も少なく静かな街並みですが、威勢よくみこしを担ぐ子どもたちを見ていると、昔の茂尻矢の街並みがよみがえるような気分になります。

 みこしを担ぐ子どもたちは茂尻矢のアイヌの時代、木材の流送、木材工場、職人の街などの街の記憶を知りませんが、みこしを担ぎ茂尻矢の記憶を伝えています。

前「第五小学校」    次「福司」

TOP