伝えたい「蔵」の記憶(38)第五小学校
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2013.5.20
近頃、釧路市では子どもの減少により市内の小中学校の統廃合が進み、なれ親しんだ校名が消えて新しい校名が誕生していますが、人口が増加していた時代は学校の新設が地域住民の大きな願望でした。明治、大正と急成長の釧路町の大正時代の小学校は、中心市街地に開校順に第1から第4の小学校がありましたが、郊外の茂尻矢の住民も小学校開設運動、開校への寄付募金活動を実施し、大正9年6月22日、釧路第5尋常高等小学校がお供山の側に開校しました。
当時の釧路町の小学校開設の条件は寄付金2000円でしたが、寄付募金が2700円も集まった記録があり(城山小学校ホームヘージ)、茂尻矢住民の熱意が感じられます。小学校の開校により茂尻矢の子どもたちは釧路第1尋常高等小学校(現釧路小学校)までの遠距離通学が解消されました。大正8年には釧路高等女学校が茂尻矢に開校していますので、職人の町に新しい文化を吹き込む文教地区の誕生は茂尻矢住民の自慢のようでした。

写真は木造平屋建ての昭和7年ごろの釧路第5尋常高等小学校(現城山小学校)です。校舎は昭和18年11月14日の火災で焼失しましたが、戦後の混乱期の昭和21年に再建されました。昭和22年には釧路市立城山小学校として新しい時代を迎えますが、再建された校舎には、お供山の四季、木材の流送、製材所の鋸の音、市民運動会の歓声などの茂尻矢の記憶を受け継いでいます。現在の校章はモシリヤチャシ跡、城跡、第5尋常小学校と茂尻矢の記憶を伝えています。



