伝えたい「蔵」の記憶(37)日本一の輸出材 釧路製材造船
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2013.5.13
昭和20年代の久寿里橋から上流の左右の釧路川河畔は丸太が山に積まれた貯木場、製材工場、造船所が並び、製材の鋸の音、貯木場の掛け声、船の進水を祝う声など活気あふれる光景が見られましたが、今は市民が集う憩い河畔公園で、昭和20年代の光景は茂尻矢の黎明期の記憶を伝えています。

写真は昭和初期に茂尻矢(現在の大川町)で操業していた釧路製材造船工場の様子を伝える絵葉書です。工場は明治40年10月に佐々木与兵衛らの釧路の有力者が出資し創業した地元釧路の会社で、創業時は敷地7000坪、従業員60名、75馬力の大型機関を備えた最新の工場です。明治36年に従業員128人の草野製軸所が茂尻矢で創業し、茂尻矢は明治時代から釧路の木材工業の中心地として釧路の躍進を支えていました。
当時の様子を見ますと、川向と呼ばれていた釧路川左岸(現在の川上町、旭町)には、建築挽材、下駄材、箱材を生産する立野、小幡、長谷川などの木工場や電柱、枕木などに防腐剤注入加工をする北海道で唯一の北海木材防腐会社が並び、川沿いには木材が山のように積まれています。
鉄橋を走る鉄道が見えます。木材の輸送が鉄道の延伸により根室、網走、北見と道東一円に延び、釧路は国内有数の木材の集散地となりました。
釧路川の水運により原料の木材の流送、製品の搬出に便利な茂尻矢を中心とする釧路川河畔は釧路の木材産業のけん引役を担っていました。



