その他 蔵の記憶
公開:2026/03/02 更新:2026/03/30

伝えたい「蔵」の記憶(36)流送木材

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2013.5.6

 釧路川の上流に向かってのんびり進む小さな船に引かれた筏(いかだ)は、多忙な時間を忘れさせる光景です。現在の筏は輸入材を釧路川上流に向かって運んでいますが、釧路の黎明期の明治時代から昭和20年代までは、釧路地方や道東で伐採された木材が下流の釧路港へ向かう活気あふれる光景でした。釧路の木材産業を支えたのが茂尻矢でした。

釧路川を筏を組んで下る当時の様子

 写真は大正時代の木材流送の様子です。5人の筏師によって筏が川を下っています。流送は鉄道輸送が始まる時代まで主要な木材輸送手段であり、釧路地方でも釧路川、阿寒川、釧路湿原から釧路川本流に注ぐ河川、別保、塘路などで見られた光景です。流送された木材は釧路港から輸出、国内移出させ釧路の繁栄を支えています。

 釧路叢書の釧路の産業史(寺島敏治著)の中に、大正2年、釧路町茂尻矢の茅野製軸所の専属の中村流送組の例の記述がありました。大正2年、中村組は雪裡川流域流送を請負った。この時は流送条件が良かったのか鶴居アイヌを交えた20人ほどの流送人夫がこの仕事に従事した。マッチ軸木のシナノキ500石から600石を3日間でモシリヤの工場へ運んだ、と当時の流送の様子を伝えています。

 昭和20年代の城山町、材木町の釧路川河畔には、大量の丸太が積まれていました。釧路川で筏の作業を見ていると、筏師が1本の丸太に乗り川の中で竿1本で作業をしていたのを思い出します。流送の記憶を受け継いでいたのです。

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