伝えたい「蔵」の記憶(35)茂尻矢の埋め立て地
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2013.4.29
昭和7年に実施された字名地番改正の町名説明の中で大川町、城山町について、旧茂尻矢の一部並びに新埋め立て地の一部と説明しています。新埋め立て地は釧路港開港百年記念誌に掲載された釧路川の埋め立ての様子を伝える図(昭和7年ごろ)を見ますと、幣舞橋の上流の釧路川河岸の左右に市埋め立て地と記載され、幣舞橋から鉄橋までの茂尻矢の釧路川沿いが埋め立て地でした。現在の日本銀行付近は釧路川を埋め立てしてできた土地です。
当時は釧路経済の中枢の釧路商工会議所、衛生組合、釧路信用組合が大川町の埋め立て地にあります。城山町の埋め立て地には、久寿里橋が昭和8年に開通し城山町と川上町が結ばれ、昭和12年には釧路臨港鉄道が東釧路と城山間の開通し埋め立て地は木材の保管基地となり、埋め立て地の完成により茂尻矢は全国有数の木材の街釧路を支え、釧路経済を支える街になりました。
釧路川の治水工事は、大正9年8月に未曽有の大雨による大洪水に襲われ、翌年から釧路川の治水工事が始まり、岩保木水門が新設され新釧路川への通水を開始、水量が減少して水運に影響するため、釧路川を掘り下げる浚渫(しゅんせつ)工事などが費用と時間をかけて実施されました、今はのどかな光景の釧路川河畔ですが、先人が釧路の未来に夢を託して奮闘した記憶を伝えています。
釧路川埋め立て・久寿里新設工事記念碑には、釧路川左岸延長1362㍍・右岸延長800㍍、埋め立て面積2万9880坪、川底浚渫干潮以下1・8㍍、昭和11年3月竣工と記録されています。茂尻矢の埋め立て地と釧路川の記憶は、整備された現在の釧路川河畔へ先人の思いと夢の記憶を伝えています。




