伝えたい「蔵」の記憶(34)茂尻矢の長屋
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2013.4.22
幣舞橋から釧路川沿いの大川町、城山町、材木町を遠望すると、日本銀行、キャッスルホテル、御供山、仏舎利塔が見え、周りは整然とした住宅街ですが、釧路川の筏、川沿の木工場と山に積まれた木材、活気あふれる職人街、茂尻矢の記憶が残されています。

写真は昭和20年代終わりごろの城山町(現喫茶ルフランの近く)のブリキ店の様子です。年代を感じさせる木造平屋の店頭にブリキ製品を並べた店舗と作業場と自宅も兼ねています。
昭和20年代の御供山の周りには写真の建物と同じ年代に建てられた長屋が細い路地に密集していました、一棟の長屋には3軒から5軒が住み、近くには共同の井戸、隅の方には共同トイレが配置されていました。
長年の風雪に耐えた長屋ですが、住んでいる人たちは「向う3軒両隣」互いに助け合い、和やかな雰囲気が漂っていました。建物の様子を見ますと昭和初期の茂尻矢時代に建てられ、流送の筏師、製材工場の職人、軸木工場の女工等の活躍した時代がよみがえります。
昭和の初めの茂尻矢の様子を昭和7年ごろの地図を見ますとブリキ店の通には坂本米屋、高田煙草屋、坂本味噌屋、須藤鍛冶屋、中屋鋸屋などが並び、通の奥には峠口長屋、三品長屋がある住宅街です。今は長屋の街並みは消え、御供山と茂尻矢の記憶を残す和やかな住宅街です。
この写真は城山町の喫茶店ルフランに展示されていますが、茂尻矢の懐かしさとたくましさの記憶を伝えています。



