その他 蔵の記憶
公開:2026/03/02 更新:2026/03/30

伝えたい「蔵」の記憶(33)茂尻矢の街並み

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2013.4.8

 茂尻矢は釧路川に沿って細長い街並みが続き、昔は茂尻矢街道と呼ばれた釧路から塘路、標茶へ向かう街道に沿って家が並ぶ、木材と流送に携わる職人の街でしたが、大正時代に釧路女学校、第5小学校の開校、市勢の拡大より昭和初期ごろには、現在の城山十字路付近に商店街も見られました。

 昭和7年ごろの茂尻矢の街を写真と地図で、今に伝わる記憶を歩きますと、写真の中央に住吉町から城山十字路を通り東釧路への道路が見えます、道路の右に茂尻矢のシンボル御供山、左の2階建ての工場は明治40年創業をして釧路の木材製材に貢献した釧路製材造船合資会社、左側には母なる釧路川が見え茂尻矢の全望が伝えられています。

 昭和7年ごろの地図を見ますと、釧路市の人口の増加と真砂町、西幣舞へは距離があり、また標茶、塘路方面からの出入り口の街である茂尻矢の十字街付近(現在の城山十字街)は郊外型の商店街ができています。

昭和7年ごろの城山商店街の街並み

 現在の城山郵便局付近には、郵便局、鹿之湯、杵淵鉄工場、消防4分団、向い側には塩路商店、細野呉服店、飯田桶店、君が袋商店、高間薬舗などが軒を並べ、近くには東家分店、老舗呉服店も見えます。

 これらの商店の中には戦後も商売を続けた店舗もあります。私が小学校の昭和20年代に学校の帰路に桶を作る職人さんの仕事を時間も忘れて見ていた飯田桶店、真赤な鉄を打つ鍛冶屋の杵淵鉄工場、豆腐の君が袋商店、薬の老舗高間薬舗等の老舗の光景は、茂尻矢の記憶を私に伝えてくれました。

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