伝えたい「蔵」の記憶(32)昭和7年氷切り
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2013.4.1
釧路市民自慢の幣舞橋から久寿里橋、旭橋までの釧路川河畔は整備されて市民の散歩コースとして憩いの場所ですが、今から80年前ごろには釧路の発展の原動力を支えるたくましい光景が見られました。

写真は昭和初期の茂尻矢付近の、冬の風物詩と言われた釧路川での氷切り作業の様子で、作業をしている背景には川岸に並ぶ大量の丸太と枕木の山、木工場が見えます、当時の釧路の活況を支えた漁業と木材の記憶を伝える光景です。
当時の釧路の漁業は、沿岸漁業から動力船を使う沖合漁業が多くなり、大正末期から鮪の水揚げが多くなり「鮪の釧路」として全国に名声を高めていました。現在のように製氷設備のない時代では、魚の鮮度維持のために天然氷は欠かせない物で、大漁が続く鮪の保管と輸送のために必要でした。冬に切り取られた天然氷は釧路川河畔に並ぶ木工場から出る「おがくず」を使った氷室に保管し、鮪漁の漁期には鮪を運搬する冷凍船に積み込まれ、鮮度の良い釧路の鮪を運び、釧路の漁業の発展を支えていました。
当時の釧路川沿いに並ぶ木工場は、釧路川上流の豊富な森林資源と整備された港湾施設により活況を呈し、釧路は木材の集散地として全国に知られていました。釧路川河口の茂尻矢では製材、軸木、枕木の工場が並び、木処釧路の隆盛を支えていました。写真に見られる光景は、当時の活況を呈する釧路の原動力となった漁業、木材、釧路川の伝えたい記憶です。



