その他 蔵の記憶
公開:2026/03/01 更新:2026/03/30

伝えたい「蔵」の記憶(29)久壽里橋

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2013.3.11

 昭和8年12月20日久壽里(くすり)橋の開通渡初式の様子を伝える釧路新聞の記事です。釧路の街を二分している釧路川に架けられた2番目の橋です。昭和初期の釧路は木材、マグロ、石炭の活況、釧網線の開通により、東北海道の拠点として発展するまちとして自負していました。

釧路新聞昭和8年12月20日の記事のコピー

 久壽里橋の開通を釧路新聞の記事では、昭和3年に完成した4代目幣舞橋を壯と美は東京以北なき誇りを有するが、一本の橋では躍進都市釧路では不便で多年架設を願望がようやく実現し釧路の隆昌となる、と喜びが新聞の記事に見られます。

 橋の長さは130㍍、有効幅5㍍の幾何学的なポニードラスト式の橋で、開通により川上町と旧茂尻矢方面の発展に資して、将来は自動車、バスが釧路駅から久壽里橋を経て春採炭鉱に至ると夢を語っています。

 久壽里橋の命名は、釧路の旧地名クスリを保存したと佐々木米太郎町名番地改正委員談が釧路新聞に掲載されています。住民に親しまれた旧茂尻矢が町名番地改正によって消えましたが、釧路川河口の街クスリの地名を橋の名前に残しました。

 釧路の旧地名クスリはアイヌ語で、語源に関して諸説があり、また漢字表記も久壽里、久摺、久須里、薬などの漢字が当てられていますが、明治2年松浦武四郎により釧路と命名されました。釧路市民に釧路の起源の記憶を伝える役目を橋に託した先人の計らいに感激します。

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