伝えたい「蔵」の記憶(28)市民運動会
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2013.3.4
子どもの頃の思い出の一つに、小学校の運動会があります。釧路の遅い春が終わり初夏を迎え、気持も晴れやかな6月に開催される小学校の運動会は子どもも大人も興奮し、家族の共通の興奮の記憶です。
6月は、小学校の運動会の他に釧路市民が興奮する釧路市民運動会が開催されます。市民運動会の始まりは、明治44年に開催された官民連合運動会で、昭和5年に釧路市民運動会と名称変更をして平成9年の80回まで開催された釧路市民自慢の運動会でした。

字地番改正により茂尻矢の町名が消えた昭和7年7月に湿地を埋め立て、市営グラウンドが茂尻矢に完成しています。現在の教育大学グラウンドの側です。市民運動会は昭和8年より市営グラウンドで開催され、運動会の感動、感激、喜び、楽しみなどの記憶を戦前戦後の釧路市民に残しています。
写真は市民運動会の自転車競技の様子ですが、競技場の周りには丸三鶴屋の看板の見える丸太組の見物席、会社、商店の旗、大勢の観衆が集まっています。市民運動会当日は北大通商店街も休日で、会場が市民の交流会場でした。
戦後復興期の昭和20年代の市民運動会では、太平洋炭砿、国鉄などの企業の応援合戦の迫力は、戦後の混乱期を頑張る釧路市民に感動と活力を与え、仮装行列、マラソンなどの競技は夢と勇気を与え、会場には熱気があふれて釧路市民が楽しい記憶をもらった市民運動会です。



