その他 蔵の記憶
公開:2026/03/01 更新:2026/03/30

伝えたい「蔵」の記憶(27)茂尻矢の女工さん

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2013.2.25

 昭和20年代の社会現象の一つに、女性の社会進出があります、男女平等は画期的なことで各方面で女性が力を発揮できる社会が来たと言われましたが、明治時代のたくましい女性の果たす役割は大きいようです。

 釧路川の河川交通が主役であった明治36年に、茂尻矢番外地、現在の城山交番近くに草野製軸所が創業しました。蒸気機関で機械を稼働させ、職工129人の近代的な設備でマッチの軸を製造する工場です。大量の木材を原料とする製軸工場は、釧路川の水運を利用できる川沿いの茂尻矢は最適な場所です。

 写真は明治後期の草野製軸所の工場風景です。着物を着た女性が作業台の前に座り仕事をしています。明治時代の釧路には、全国各地からの移住者が新天地に夢と希望を持って上陸しています。軸木工場で働く女工さんたちも移住してきた人たちです。厳しい寒さと慣れない環境の中で頑張る女工さんの働く姿にたくましさを感じます。

 当時の移住者の一家は、家計を支えるために家族全員で働きますが、女性は仕事の他に炊事洗濯などの家事、育児を厳寒の釧路で囲炉裏とランプという、今では想像もできない生活環境の中で頑張るのが当然の時代でしたと、軸木工場の女工さんだった古老が語っていました。

明治後期、草野製軸所で働く着物姿の女工たち

 女工哀史のイメージとは違い、夢を持って力強く頑張る茂尻矢の女工さんに支えられて、釧路の木材工業は活況を呈し、「日本一の木処釧路」と呼ばれていました。

前「茂尻矢の湧水」    次「市民運動会」

TOP