伝えたい「蔵」の記憶(25)茅野満明
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2013.2.11
昭和20年代中ごろの城山町(現在の城山交番近く)に古い大きな邸宅があり、茅野さんと呼んでいました。祖母から元釧路市長さんの家で祖父が囲碁の相手をしていたと祖父の想い出話を聞かせてくれました。写真は子どもの頃の記憶に残る茅野邸の玄関前で、茅野満明さんを中心とした集合写真です。
茅野満明さんは、黎明期の茂尻矢で創業した草野軸木工場の経営を引き継ぎ、木材の町茂尻矢の発展に寄与した実業家で、5代目釧路市長を務め、釧路の政財界で活躍しました。中心街から遠隔の茂尻矢では、庁立釧路高等女学校、第5小学校の開校、市営グラウンド建設に関わり、職人の町に文教地区の誕生に貢献をしています。

茅野満明さんの経歴を紹介した人物伝の中に「園芸は最も好む所、春採村に一万三千坪の花園を開きて栽培に熱心」の記述があります。昭和初期に発行された、観客に埋まる春採茅野公園の絵葉書があります、公園は茅野満明さんが土地を買収して公衆の観桜に解放したので、茅野公園と呼ばれたという記録があります。
茅野公園での花見は釧路市民の春の楽しみで、臨港鉄道も花見の臨時運行をしたと言われています。当時を知る古老によると、にぎやかな花見を楽しんだ喜びは忘れられない思い出ですと語っています。
茅野満明さんの茂尻矢の記憶は、教育大学を中心とする文教地区に受け継がれ、茅野公園は今も花見を楽しむ人たちでにぎわっています。



