その他 蔵の記憶
公開:2026/03/01 更新:2026/03/30

伝えたい「蔵」の記憶(24)庁立高等女学校

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2013.2.4

 城山十字路から教育大学へ向かって歩くと、左側にテニスコートでゲームを楽しむ学生の声が聞こえます。このコート付近に大正8年に庁立釧路高等女学校が開校しました。

大正12年ごろの庁立釧路高等女学校の校舎

 当時は釧路町字茂尻矢と呼ばれた葦(アシ)の茂る湿地を埋め立て、釧路町と町有志の寄付により、釧路町民が待望した女性のための中等教育の学校が誕生しました。開校当時の入学者の年齢はさまざまで、当時の女性の向学心と意欲が感じられます。

 女学校の開校は、職人の町茂尻矢に大正ロマンの香りと文化をもたらし、茂尻矢の人たちに歓迎され、女学生が制服姿で通学する道路を「女学生通り」と呼び、町の誇りにしていました。梅花と稜鏡(鏡)とを組み合わせた女学校の校章には、北国の女性の意気と堅実な志操を表徴し、向学心に燃える女学生の憧れでしたと古老が語っています。

 大正9年には釧路第5尋常高等小学校(現城山小学校)が開校、昭和14年には釧路実家高等女学校が現在の教育大学の場所に移転、同じ年に鶴ケ岱に釧路工業高等学校が開校し、女学校のある茂尻矢の街並みを中心に文教地区が誕生しました。

 釧路高等女学校は昭和25年、釧路江南高等学校に校名を変更して男女共学になり、昭和34年には光陽町に移転しましたが、城山町の街並みは今も茂尻矢の女学校の記憶を受け継いで、教育大学を中心とする文教地区です。

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