その他 蔵の記憶
公開:2026/03/01 更新:2026/03/30

伝えたい「蔵」の記憶(23)サルシナイ川の記憶

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2013.1.28

 城山町の御供山(おそなえやま)から城山小学校を通り緑ケ岡へ向かう通りは、子どものころの通学路であり遊び場でした。当時の砂利道は、今は舗装され小川もありませんが、御供山の頂上に登り見渡した釧路の街並み、ザルで魚採りをした小川、にぎやかな市民運動会を思い出します。今では「春の小川」の歌詞を思いださせる雪どけの小川、魚採りをした小川は消え、川沿いに植えられていたヤチダモの木が川の名残を伝えています。

 明治43年の茂尻矢の地図を見ると、緑ケ岡から御供山の前を経て釧路川に流れる川が記載されています、「サルシナイ川」と呼ばれた川です。幻の川と呼ばれたサルシナイ川を仲間の勉強会で知った時に、子どものころの情景を思い出し感激をしました。サルシナイはアイヌ語で「芦の生えた沢」です、子どものころに見た緑ケ岡の谷地から流れる小川、教育大学下の谷地、どうして谷地が多いのかと当時思った疑問が、小川の名前がサルシナイと知り解決し、そのころの光景の記憶が再現しました。

茂尻矢から釧路川に注いでいるサルシナイ川が書き込まれている地図

 アイヌの人たちは、御供山をサルシナイチャシコツ(芦の生えた沢の砦跡)と呼んでいました、往時の砦は芦が生い茂る湿地帯に囲まれて、一方には中島のある釧路川(モシリヤ)が砦に迫り、外敵を防ぐ堅牢な砦の様子を地名が伝えています。今は見ることのできないサルシナイ川の記憶をモシリヤシャシコツ(御供山)が伝えています。

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