その他 蔵の記憶
公開:2026/03/01 更新:2026/03/30

伝えたい「蔵」の記憶(20)職人の町

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2013.1.7

 釧路川沿いの町、茂尻矢は、釧路川の水運と上流の開拓により伐採される木材の集積の町として、明治初期より釧路の木材産業の発展を支え、木所釧路発祥の地の記憶を昭和7年の字地番改正の時に、茂尻矢の一部を材木町と命名し町名に残しています。

 明治43年の茂尻矢付近の地図を見ますと、現在の城山町から材木町へ向かう通りが厚岸街道と記載され、現在の城山交番の付近の厚岸街道沿いの茂尻矢番外地に、草野製軸所が記載されています。

 草野製軸所は、明治36年に東京の草野新太郎が創業したマッチの軸を生産する工場でドイツ製の機械6台を設置し、蒸気機関で機械を動かす近代的な工場です。職工は男女129人と大規模工場で、製品は釧路港より関西方面へ出荷されたと釧路市史に記載されています。

 黎明期の釧路での近代的な工場生産を可能にしたのは、釧路川、阿寒川の上流から流送された豊富な森林資源と、大量の木材の流送を可能にした釧路川の水運と、未開地を開く開拓移住者のバイタリティーです。

 草野製軸所は大正元年に釧路の茅野満明が経営を引き継ぎ、茅野燐寸製軸所として釧路の木材と関連産業躍進の原動力を担い、釧路初の機械化された製軸所は、木材工業地帯の茂尻矢の街を木材の流送、製材と関連する多くの職人の住む街を誕生させ、茂尻矢の職人が釧路の木材産業の活況を支えました。

豊富な木材資源を使って稼働していた茅野燐寸製軸所の工場内部

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