伝えたい「蔵」の記憶(18)洲崎町の小路
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2012.12.17
釧路市内を歩いて感じることは、区画整理が隅々まで進み、どこに行っても画一化された同じような道路が続き、子どものころに感じた街並みの違いが感じられなくなり、街の匂いが消えてしまい街の特徴も感じられません。街に住む人たちの生活の匂いは変わりませんが、道路の画一化が匂いを消しているようです。

洲崎通りと呼ばれた大町5丁目から7丁目は、昭和初期までは釧路の中心市街地として釧路の経済を支えた通りです。今は舗装道路沿いの住宅の中に鉄工場、商店、銭湯がある静かな住宅街ですが、一歩裏通りに入ると、子どものころに仲間と走り回り、おじさん、おばさんに怒られた小路、袋小路が残っている住宅街です。
住宅街を歩くと、狭い敷地に住宅と庭先に小さな花壇のある家が、隣の家の声が聞こえるくらいの間隔で並び、路地で遊ぶ子どもたちのなつかしい光景が見られます。
昭和7年の地図を見ると現在と同じ小路がありました。畳屋、かまぼこ店、ブリキ屋、鍛冶屋などのある活気のある職人の街でした。人口急増が続く時代に誕生した自然発生的な小路、長屋のある風景の洲崎町の名残りの裏通りに懐かしさと温かさを感じます。
洲崎町を記憶した街並みには、先人たちが「釧路港は地方港に止まらず世界航路を目指す」と宣言した、当時の夢と活力も伝えられ、釧路川左岸の砂州(オタイト)の記憶も伝えています。



