伝えたい「蔵」の記憶(17)洲崎町を歩く
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2012.12.3
釧路市の橋南地区は明治、大正、昭和初期まで釧路の中心市街地として釧路市の基礎を築き、黎明期の釧路川河口の砂州を伝え、市民に親しまれた町名が洲崎町です。今はマンション、住宅が並ぶ静かな街並みですが、昭和7年の地図で洲崎町の記憶をたどってみます。
南大通5丁目交差点を釧路川沿いへ向かうと大町5丁目交差点があり、交差点を米町へ向かう通りが洲崎町通です。大町5丁目の交差点には、元シーサイドホテルとマンションがありますが、昭和7年の地図を見ると、昭和3年新築の堂々とした釧路郵便局で、向かい側には堅牢な安田銀行(現みずほ銀行)、老舗商社の明治商会、大正商事などが並ぶビジネス街で、ここから多くの釧路の経済人が誕生しています。
大町5丁目には柳沢鉄工所が操業していますが、地図を見ますと正置工場、大田鉄工所、加賀多ブリキ店等釧路の造船工業を支えた鉄工場、憩いの銭湯人参湯、時代を先取りした市場真砂町市場、スザキ市場が軒を並べています。
6丁目には、大町6丁目洲崎通りの看板が電柱に掲げられ、なつかし館「蔵」、創業から3代目の草津湯があります、昭和7年の地図では、食料品問屋の佐々木米太郎商店、黒滝桶店、渋谷理髪店、冨田鉄工場、草津湯など戦後まで続いた老舗が並んでいます。地図を見ながら洲崎町の記憶を歩くと、建物で残る記憶は少ないが、昭和初期の活力ある街並みが再現され、また新天地釧路で夢の実現に邁進する先人の気迫を感じます。




