伝えたい「蔵」の記憶(16)昭和初期の洲崎町
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2012.11.26
釧路川河口の街釧路は、釧路川の水運、釧路港の修築、鉄道の開通、等の交通運輸の拠点として急速な発展により市街地も拡大します、特に大正9年釧路駅の現在地への移転、昭和3年の4代目幣舞橋の完成により、橋北地区が急速に発展しますが、明治、大正、昭和初期までは、行政、経済の中心は、山の上と呼ばれた幣舞町と真砂町を中心とする橋南地区でした。

写真は大正4年ごろの洲崎町1丁目、佐々木米太郎商店の正月恒例の初荷の光景です。土蔵造りの店頭に勢ぞろいした馬車、山のように積まれた荷物、威勢のよい男たち、当時の活力ある釧路を連想させる光景です。洲崎町1丁目は現在の大町6丁目ですが、佐々木米太郎商店の並びには、土蔵、商店が並び洲崎町通の繁栄を伝えています。
昭和初期の橋南の川沿いの街並みを見ますと、一流旅館、老舗商店、拓殖銀行などの金融機関の並ぶ真砂町通に対し、洲崎町通には佐々木米太郎商店、大正商事、明治商会などの問屋、商社、釧路郵便局、安田銀行が見られ、現在のビジネス街の様相の中に、正置、冨田、大田などの老舗鉄工場も見え、釧路川左岸の町の記憶を残しながら新しい時代に対応した町と言えます。入舟町の川沿いには、魚采市場、山部、柴田造船所、幅口、茅野鉄工場、高木、嵯峨魚問屋が見られます。釧路川左岸の街並みは時代に対応して役割を果たしています。



