伝えたい「蔵」の記憶(14)洲崎町の始まり
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2012.11.5
釧路川河口の街釧路の黎明期は、鳥取藩士の移住、釧路川上流の硫黄鉱山開発、標茶集治監開設、春採炭砿の開坑などにより、急激に人口が増加、市街地の増設が必要になり、「日に日に開進の勢あるも、家屋に乏しき土地限りあり」と明治21年に宮本郡長が上申し、幣舞町、洲崎町、浦見町ほか5町が新設されました。
洲崎町は現在の南大通の一部と大町の大部分で、当時の中心市街地真砂町に隣接する町です。真砂町、洲崎町の町名は、釧路川河岸に連なる砂浜の様子を伝える町名で、釧路川に沿って誕生しました。洲崎は洲が海中、川に突き出た所の地名として全国各地に見られます。洲崎町はオダイトオ「苧足糸」と呼ばれ、アイヌ語ではオタは砂、イトは埼、で、釧路川に大きな洲が突き出ている様子を地名としています。
明治23年発行の北海立志図録の硫黄山安田事務所を見ますと、釧路川に突き出た砂州、硫黄を知人へ運ぶ軌道、煙を上げた汽船などが見え、明治23年ごろの洲崎町の様子を伝えています。釧路川上流で採掘された硫黄の輸出の拠点が、釧路港の汽船に硫黄を積み込む基地の役割を果たしたのが釧路川河口沿の洲崎町です。

明治36年に釧路川左岸の埋立工事が完了して、川沿いに入舟町が新設されて、洲崎町は町名に河岸の記憶を残し、真砂町と共に釧路の繁栄を支える町になりました。



