その他 蔵の記憶
公開:2026/03/01 更新:2026/03/30

伝えたい「蔵」の記憶(12)武富小路

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2012.10.22

 閑静な住宅街の南大通8丁目、釧路発祥の地、佐野碑園の裏側を南大通から元真砂湯に抜ける細い路地坂があります、古くから武富私道と呼ばれていましたが、大正9年釧路に区制が施行された時に「武富小路」と釧路区が命名したと、小路の入り口に設置された、坂の命名理由を解説する石碑があります。

 明治23年出版の北海立志図録に掲載された、元料亭「八ッ浪」の所と言われている武富善吉邸の様子を見ますと「釧路郡真砂町、漁業武富善吉、本国佐賀県肥前国佐賀郡佐賀道祖元町」と出身地が記載され、オダイトウ(現入舟町)の砂州、頓化(とんけし)(現浪花町)が描かれています。佐賀県から移住し釧路発展の功労者武富善吉は、高台の自宅から活力ある黎明期の釧路を一望し、新天地での希望の実現に邁進していた様子が窺えます。

武富小路の名前の由来となった武富善吉邸。後に料亭八ッ浪となる

 明治43年ごろの武富小路には、石川啄木が記憶を残した、料亭喜望楼、鹿島屋が、浦見町にはしゃも寅、釧路座があり、武富小路が当時の繁華街の中心のようです。その後徐々に西幣舞が発展しますが、昭和7年の地図には、割烹八ッ浪、見番なども見え、釧路の代表的な繁華街です。

 今年は真砂町が誕生して120年です、街並みには真砂町の記憶が見えませんが、現在の武富小路を歩くと、真砂町誕生当時の夢と希望と活気あふれる町の記憶がよみがえるような雰囲気を漂わせています。

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