その他 蔵の記憶
公開:2026/03/01 更新:2026/03/30

伝えたい「蔵」の記憶(11)真砂町1番地

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2012.10.8

 真砂町は現在の南大通3丁目から8丁目の大通で、支庁坂下の小奴の碑のある所を1番地として時計回り連番が付けられ、1番地の向かい(元よしのや食堂)は122番地でした。

 明治43年の地図を見ますと、1番地は近江屋旅館、2番地は富士屋旅館、武富私道近くの現在の佐野碑園付近は45番地ですが、近江屋旅館の広告を見ますと、住所の代わりに「北海道釧路港支庁坂下」と表示されています。当時の人々には住所表示よりも近くの目標がより身近な住所でした。

 昭和7年では、支庁坂下の真砂町1番地に近江屋旅館、2番地は富士屋旅館と、明治43年と同じですが、同じ並びには新しいサービス業のエビス自動車、丸二タクシー、近くには東家本店、十二銀行が並び、繁栄する真砂町を象徴する街並みでした。

 近くの幣舞町には山下クリーニング、大正堂書店、電話局があり、幣舞橋に通じる商店街と釧路新聞社のある入船町へ通じる通りが交差して、真砂町1番地は繁栄する釧路の中心街の十字路になっています。真砂町1番地付近を、釧路市民はつい最近まで支庁坂下と呼んでいました。

真砂町1番地にあった近江屋旅館の明治43年の広告

 支庁坂下は交通の要所の交差点で、富士見坂の開通までは、釧路駅と春採を結ぶバス路線の要のバス停留所「休み坂下」があり、釧路市民には記憶に残る停留所の名前でした。

 真砂町時代の名残を伝える「支庁坂下」のバス停留所は消えましたが、今は黎明期の釧路の記憶を「小奴の碑」が、真砂町1番地を伝えています。

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