伝えたい「蔵」の記憶(10)真砂町の坂
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2012.8.13
釧路の橋南地区は坂が多い街ですが、南大通2丁目の大きなカーブの長い支庁坂と、7丁目の小さなカーブの休み坂は、真砂町の歩みの記憶を伝えています。釧路川左岸に発達した中心市街地真砂町は、経済の中心であり、明治、大正、昭和と中心商店街としてにぎわう街並みは、発展する釧路の象徴でした。当時は官庁街と住宅街の幣舞町、浦見町などは山の上と呼ばれ、支庁坂と休み坂は山の上と下町の真砂町を結ぶ坂道でした。
支庁坂は、現在の生涯学習センターの所にあった当時の釧路支庁に通じる坂なので支庁坂と呼ばれましたが、釧路支庁が浦見町に移転し、釧路市役所、警察署、土木事務所等の官庁、公会堂建設された後も支庁坂と呼ばれています。
幣舞橋に通じる支庁坂は鳥取、頓化、白糠、阿寒方面への主要道路として釧路市民、周辺の人々が、役所へ行くために上り下りした生活の坂道です。
休み坂は明治17年に開削され、坂の途中に通称「休町」という人が住んでいて、いつとはなしに休み坂と呼ばれるようになったと記録されています。坂の上の芝居小屋、飲食店の集中する武富小路の歓楽街へ通じる坂道で、昭和7年ごろには料亭「八ツ浪」の名前も見えます。当時の人々が夢を語り、夢の実現の活力を生んだ坂道です。

二つの坂道を歩くと、新天地に夢を持ち移住をした先人のバイタリテー、にぎわいの商店街の騒音など、先人の息吹と足音が語り掛けてきます。



