その他 蔵の記憶
公開:2026/03/01 更新:2026/03/30

伝えたい「蔵」の記憶(9)道東で最初の百貨店

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2012.8.13

 真砂町は、黎明期の釧路には全国から新天地に希望と夢を持って多くの人たちが上陸し、一夜を過ごした町でもあります。

 釧路市民に親しまれた百貨店丸三鶴屋の創業の地も真砂町でした。「丸三鶴屋は明治39年10月、釧路町大字真砂町58番地(現在南大通7丁目)において両角栄治が個人開業し、後にマル三両角呉服店と改称し『薄利誠実』をモットーとして、店主以下12名劇しい競争の中に在り孤軍奮斗克く商運を拓く。明治44年に釧路町大字真砂町14番地(現南大通5丁目)に本店移転し、全員一致協力次第に業界に於いて認められる」(株式会社丸三鶴屋50年小史)と、真砂町での丸三鶴屋の商売の様子を伝えています。

鶴屋が開店披露で出した新聞広告

 創業当時の開店披露の新聞広告の住所は「釧路真砂町カネ吉旅館隣」と表示され、地番が必要とされない時代のようです。

 明治39年ごろの釧路は、ニシンの豊漁、木材の集散基地として活況を呈し、また移住者の流入により人口が急増し、真砂町は当時の波止場に近く活力あるにぎやかさが、釧路を創業の地に決めた要因だと両角栄治さんは回顧しています。

 昭和5年に西幣舞(現北大通5丁目)に道東で最初の百貨店を開店し、釧路の商業の繁栄に貢献しました。その後釧路の中心市街地は橋南から橋北へ移りますが、真砂町は釧路発展の礎を築き、釧路商人の奮闘の記憶が残る町です。

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