伝えたい「蔵」の記憶(8)受け継がれた真砂町
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2012.8.13
昭和7年8月の字地番改正により真砂町は消え、釧路市民の記憶からも消えようとしています。平成24年は釧路市制90年、字地番改正80年になります。80年前の釧路と現在とは状況が全く違い比較のしようがありませんが、残された真砂町の記憶を探してみました。
商店や料亭で殷賑を極めた真砂町ですが、南大通の時代になり、中心市街地は徐々に北に移動し、釧路駅から幣舞橋までの北大通の時代に移ります。特に戦後の復興期の人口急増、住宅地域の拡大、道路網の整備と学校、病院、商業施設などの郊外への移転、新設が続き、中心市街地の様子が一変し、北大通の空き店舗が目立つ時代になり、また真砂町発祥の南大通も過疎と高齢化で隔世の感がありますが、それでも真砂町の記憶が伝えられていました。

浦見町8丁目、癒やしの湯として愛された真砂湯、廃業していますが、壁に残された「真砂湯」の文字に懐かしさが感じられます。南大通1の手塚豆腐店「日本一手造り真砂とうふ」に真砂町が受け継がれています。明治時代に初代吉太郎さんが米町で創業、二代目健二さんが水の良い真砂町に移転し、真砂町の町名に因み「真砂とうふ」を命名し、真の技術で限りなく発展する願いを込めて命名しました。3代目手塚臣十さんは真砂の精神を受け継ぎ、限りない発展と努力で時代に挑戦しています。
遠い時代の先人が夢を託し、当時の町の様子を伝え、浪漫を伝える真砂町の記憶が受け継がれています。



