伝えたい「蔵」の記憶(5)町の記憶
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2012.8.20
毎日の生活の中で何気なく使われる町の名前を考えてみると、町とそこに住む人たちの生活と物語の記憶がよみがえります。
釧路の町名をたどりますと、明治2年釧路郡が設置され、明治5年釧路村、明治8年米町(こめまち)が増設され、明治15年釧路村、米町を割いて、米町の北東部に隣接する真砂町ができました。

釧路は小さな漁村でしたが、開拓の時代を迎え、全国各地からの移住者が急増し、市街地も広がり、明治21年には幣舞町、洲崎町、浦見町が新設され、その後も茂尻矢、西幣舞、頓化、別途前、春採、入舟町などの町が誕生しました。
鉄道の延長、鮪の大漁、木材の輸出など産業の活況により、人口の急増が続き、大正11年に市制が施行されて、人口4万2673人、道東の拠点都市釧路市が誕生しました。
昭和7年、市制10周年記念事業の一つとして、次代の発展を託し、釧路市では市内を50の町名を設置する「字地番改正」を実施しました。新たな希望を込めた新町名が誕生しましたが、消えた町名もあります。消えた町名は、黎明期の釧路をうかがう記憶です。
米町は釧路開拓の功労者佐野家の屋号、真砂町、洲崎町は釧路川河口の様子、浦見町、幣舞、頓化、茂尻矢等はアイヌ語と、町名には釧路の黎明期を伝え、ロマンを感じさせる余韻もあります。今では忘れられた町名になりましたが、消えた町名の記憶をたどってみます。



