伝えたい「蔵」の記憶(4)町名の記憶
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2012.8.13
大町6丁目の住宅街の中に、瓦屋根で白壁の土蔵があります。大正4年に建築された佐々木米太郎商店の修復された土蔵で、現在は中野吉次さんが収集した、明治、大正、昭和の生活民具を展示し、一般公開している、洲崎町なつかし館「蔵」です。朽ちかけた土蔵を釧路市民の財産として残したい、中野吉次さんに共鳴し応援したい、と立ち上げた「洲崎町なつかし館蔵を再生させる会」が、市民の応援を受けて運営しています。
蔵の名前に付けられた洲崎町は、現在の大町の大部分を占め、昭和7年の町名改正により消えた町名です。町名改正前の釧路の町名には、明治初期の釧路の様子を伝えています。真砂町、洲崎町、オダイトウ、頓化、茂尻矢など、多くは地形やアイヌ語に由来する当て字です。

洲崎は洲が長く河川に突出して岬のようになった所の意味で、釧路川の川幅が現在の2倍もあり、蔵のある地域は釧路川河畔の砂地が続き、近くには大きな砂州があり、洲崎の町名にピッタリの地形でした、今の街並みからは想像するのは困難です。先人は釧路川を埋め立て、魚市場、工場、商店、住宅用地に変わりました。
消えた町名は、昔の釧路川、先人のバイタリティーの記憶を受け継ぎ、佐々木米太郎商店の蔵は、洲崎町が明治、大正、昭和へと、商店、問屋、商社、銀行が集まり、釧路の経済、政治の中核だった記憶を今に伝えています。洲崎町なつかし館蔵を再生させる会は、釧路の隠されている記憶を伝える活動を実践しているのです。



