その他 蔵の記憶
公開:2026/03/01 更新:2026/03/30

伝えたい「蔵」の記憶(1)街並み

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2012.7.23

 街並みは時代の移り変わりを反映して姿を変え、気がつくと全く違う街並みが誕生していますが、所々に時代の面影を残しています。

 釧路市大町六丁目の静かな住宅街の中に、瓦屋根、白壁の重厚な「土蔵」があります。修復はされていますが、風雪の傷跡も残しています。「土蔵」は、当時の釧路の中心商店街の洲崎町に大正4年5月30日棟上げをし、屋号はヤマハチ食料品問屋佐々木米太郎商店の倉庫として使われ、釧路市民の食生活を支えていました。大正、昭和、平成の長い年月の風雪に耐えながら、釧路の希望あふれる黎明期、活力ある発展期、戦後の混乱、躍進期と、時代の変化を見つめてきた「土蔵」です。今は、静かな住宅街で先人の記憶、釧路市民の心の故郷を伝える、洲崎町なつかし館「蔵」として親しまれています。

なつかし館蔵に残された佐々木商店の屋号

 「蔵」の生い立ちを見ますと、土蔵を建てた佐々木米太郎さん、壊れかけた土蔵を購入した中野吉次さん、釧路市民の多くの人との関わりと記憶が感じられます。佐々木米太郎さんは、明治時代に岐阜県より移住し、恵まれた才能を発揮して釧路の政財界の重鎮として活躍し、釧路市民に多くの記憶を伝えています。

 中野吉次さんは、秋田県から来釧して持ち前のバイタリティーと忍耐力を発揮し「もったいない」を信条として、独自の活動を長年実践、釧路市民の記憶を収集し、多くの記憶を伝えています。時代を超えた「蔵」の記憶は関わりを持った多くの人々に伝えられ、次世代へ受け継がれます。

著者紹介

 木村浩章(きむら ひろあき)1941年釧路市生まれ。丸三鶴屋勤務。退職後洲崎町なつかし館蔵を再生させる会。釧路観光ガイドの会。

「蔵」

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