その他 蔵の記憶
公開:2026/03/01 更新:2026/03/30

伝えたい「蔵」の記憶(7)真砂町の繁栄

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2012.9.3

 釧路は、明治、大正と躍進が続き、村から町へ、大正11年には市制が施行されました。大正7年の根室線開通時に釧路駅が現在地に移転し、昭和3年の4代目幣舞橋の完成、昭和5年の丸三鶴屋百貨店開業など橋北地区が目覚ましい発展期を迎えましたが、街の中心街は真砂町で、古老には隆盛を誇る釧路の中心であり、愛着ある町でした。

 写真を見ますと幣舞町の高台に見える釧路市役所、公会堂、右側に見える支庁坂下(現在の南大通3丁目)に見える3階建ての富士屋旅館、近江屋旅館、大売出しの幟、堂々とした商店が軒を並べる街並み、昭和初期の真砂町の街並みです。昭和7年発行「大日本職業別明細図」を見ますと、真砂町には両角、岩堀、ハマノ、拓殖銀行、十二銀行、真砂町市場等が掲載され、また臨港鉄道に真砂町、臨港、知人などの駅も見えます。釧路経済の中心機能を果たす真砂町の様子がうかがえます。

昭和初期の活気に満ちたたたずまいを見せる真砂町かいわい

 大正から昭和初期の釧路は、大正時代の木材、港運の活況、昭和初期は、「マグロの釧路か釧路の鮪か」と言われた鮪の大漁、釧網線の全通と釧路経済が活況を呈し、人口の急増、市勢の拡大が続きます。昭和7年には市制10周年記念事業として「字地番改正」が実施されて50の新町名が誕生しました。真砂町は南大通に町名が変わり、釧路市民が永遠の繁栄を願い命名し、誇りとして親しまれた真砂町が消えました。

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