その他 蔵の記憶
公開:2026/03/01 更新:2026/03/30

伝えたい「蔵」の記憶(6)真砂町誕生

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2012.8.27

 明治15年(1882年)北海道に函館、札幌、根室の3県が設置されました。120年前の釧路では、米町、釧路村を割いて米町の北東隣接する真砂(まさご)町が誕生しました。現在の南大通3丁目から8丁目です。

 真砂は細かい砂、限りない砂を意味しますが、町名の真砂は、「浜の真砂が限りないのと同様に町が限りなく繁栄するように」と夢と希望を込めた町名と言われ、北海道では苫小牧市、紋別市にもある町名です。

 北海道東部の小さな漁村の人たちが、夢と希望を込めて命名した真砂町は、釧路川右岸の長い砂浜、大きな砂州が見える街並みでした。明治23年発行の北海立志図録を見ますと、屋根に石を載せた商店、料亭、土蔵が並び、黎明期の釧路川河口の様子を伝えています。

 釧路の黎明期は、安田の硫黄、春採炭山の開抗、ニシンの豊漁、天寧の製紙と、その後の釧路経済の柱となる産業の勃興と、釧路港の開港、明治34年には鉄道が開通して、道東の拠点機能を充実します。

 明治43年発行の「釧路港実業名鑑明細全図」掲載の商社を見ますと、真砂町には両角呉服店、濱野、岩堀、松並、進藤など、その後老舗と呼ばれる商店が名を連ね、躍進釧路の顔の町として活気あふれる商店街です。当時の人たちにとって、真砂町は夢を託し希望を実現できる町でした。

真砂町の初期、町内にあった愛北物産の見取り図

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