編集部コラム「土地勘の洗礼」

北海道旅行における「2泊3日で札幌→函館→知床」などという道外の人の旅行プランを聞くと「なめとんのかおんどりゃー」と容赦なくツッコミを入れてしまうのは道民あるあるネタである。
しかし、土地勘の誤解を笑っていられるのは、ホームにいるからなのである。
内地(アウェー)に赴き、田舎者ではありませんよと涼しい顔をして過ごそうと思っていたら、そうは問屋が卸さなかった。こちらもある意味都会をなめていた。
田舎者が東京に行くと、都会に対する認知バイアスで距離感がバグる。
東京なら電車が無数に走っており、スマホさえあればどこへでもすぐ行けるような幻惑に襲われる。
便利なナビアプリや電子地図は「どこでもドア」を手にしたという錯覚を与え、瞬間移動でもできるような誤認をしてしまうのだ。
慣れているならまだしも、素人は羽田空港から都心へ出るのに思ったより時間を食うことに戸惑い、線路の上を走るものはJRだけという感覚で育った道民にとって、京急線だの埼京線だのは未知の乗り物である。
すべてが各駅停車なわけでもなく、同じホームに分刻みでいろんな行き先の電車が次々と走り込んでくる。
行きたかったのは池袋のはずなのに、なぜ自分は新宿にいるのだろうか。はて。
新宿と一口に言っても、新宿と名の付く駅の種類は10近くもあるし、メインの駅は巨大な地下迷宮で、改札も出口も路線もいくつもある。東口に出たいのに、西口にいる。西口を目指していたら、新宿西口駅という別の駅にいる。ドーナッテンダ。
地上に出たら出たで、ビルも看板もランドマークも多すぎて何も目印にならない。人の流れに乗ればどこかへ着く気がするが、その人たちは同じ目的地へ向かっているわけではない。
考えてみれば当然なのだが、つい群れに着いていってしまう習性を発揮する。羊かおのれは。
目的地まで20分という表示は、田舎における「ドアtoドア」の車移動の感覚として捉えてしまい、乗り継ぎという余白の時間を考慮しないため結果的に20分なんかでは着かない。
普段一日の歩数は3000歩にも満たない出不精が2万歩も歩かされ、棒になりそうな足を引きずって、都会の洗礼を受けるのである。
目的地にたどり着くのが精一杯で、街ブラなど夢のまた夢であった。
実は、東京と大阪は釧路―帯広くらいの距離だと思っていた。
その距離なんと500㌔。釧路と函館の距離である。
関東ではこれを新幹線で約2時間半で結ぶ。
2時間半。
「まあ帯広くらいかな」と思うではないか。
そりゃ札幌から知床まで500㌔未満と聞けば、日帰りで行けるんじゃ?という認識になるのも分からなくもない。新幹線という魔法の乗り物が整備されていれば、の話だが。
あふれかえる人の波をかき分けて、ギラギラとまぶしい東京の街を飛び立った。
閑静な釧路空港はほっとするような寂しいような妙な気分になった。
さて、人にぶつからぬよう気を配るセンサーを、今度は鹿とぶつからぬよう目を光らせるセンサーに切り替えなくては。(ごめのすけ)




