伝えたい「蔵」の記憶(486)活況、スケソ水揚げ
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2025.10.6
昭和47年の20万都市釧路は、基幹産業の漁業、石炭、紙パルプの活況に支えられて発展する釧路の半世紀の記憶を伝える市制施行50周年を迎えます。この年の市勢要覧は、「20万都市へ伸び行く釧路、活況続く産業・経済、大いなる期待釧路西港計画等力強く発展する釧路」と伝えています。

写真は、日本一の漁獲量を誇る漁業基地として昭和47年の市勢要覧に掲載された釧路港の活況を伝える北洋のスケソの水揚光景です。冬の魚スケソの様子を釧路叢書の「釧路のさかなと漁業」は、「接岸中の大型漁船は、横づけしたトラックへ、みるみるうちにスケソを山のように積み上げていき、トラックは凍り付いた路上に魚をまき散らしながら、東西へ奔走する」という釧路ならではの光景が展開されたことを記述しています。
釧路港は、昭和44年、45年と連続漁獲量日本一を達成しますが、これは漁獲量が飛躍的に増加したスケソが貢献しています。同45年の釧路港総取扱高は、59万3410㌧、金額は260億2百万円ですが、スケソは数量では47%、金額は27%を占めています。 水揚げされたスケソは、釧路市内の加工場に運ばれて手作業ですり身の原料、紅葉子、ミールなどにと、多くの女工さんにより次々と処理されて全国各地へ出荷されます。
水揚量日本一の主役スケソの豊漁は、「しんがり、スケソを満載した忠洋丸入港、北転船のべ720隻入港、スケソラッシュ」「12月31日13隻スケソを積んで入港」などの活況を伝える新聞報道や(昭和44年12月31日釧路新聞)、スケソを満載したトラックが列をつくる、などの釧路港の風景は、今も釧路市民の記憶に残っています。




