その他 蔵の記憶
公開:2026/03/16 更新:2026/04/28

伝えたい「蔵」の記憶(472)20万都市を標榜

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2024.4.1

 釧路市の人口は、市制が施行された大正11年当時の人口は4万2673人でした。昭和20年には5万633人、その後人口は急増し、同25年9万3357人、同30年11万9536人と10万台を記録します。さらに同35年18万1528人と急増が続きます。

 開基100年を迎えた昭和44年1月7日の釧路新聞は、「9月20万人・人口開基百年月に突破」─「釧路の人口伸長率は数年鈍化しているが、過去5年間の資料により推計すると9月末に人口が20万人を突破する」と報道していますが、達成できませんでした。

 昭和45年8月12日の釧路新聞は、「気がもめる人口20万・10月まで達成できる」。同45年11月15日の釧路新聞は「空念仏だった20万都市」、「完全に停滞都市」と20万都市誕生への険しい道のりを報道し、20万都市への願望を強くのぞかせていました。そして同46年8月18日の釧路新聞は、「7月末住民登録人口20万115人」、「自然増でやっと20万」、「記念行事はお預け」と報道しています。

 戦後史ノート(釧路新書)は、「昭和46年9月末の釧路市住民基本台帳に登録された市民6万3328世帯、人口20万575人…、この時から20万都市を標榜するようになった」と記述しています。

世帯数と人口のグラフ

 写真は、大正11年から昭和45年までの世帯数と人口の記録です。道東の中核都市釧路の20万都市誕生の記憶を伝える、昭和46年の釧路市勢要覧に掲載されたグラフです。45年の国勢調査でも釧路市の人口は19万1948人となり、札幌市、函館市、旭川市につぐ北海道4位の都市になります。

 20万都市を標榜は、その背景に戦前戦後の混乱期に挑戦した市民の活力や、サバ漁の豊漁、黒ダイヤと呼ばれた石炭、本州製紙が操業した紙パルプなど経済情勢変遷の記憶を受け継いでいます。

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