伝えたい「蔵」の記憶(454)茂尻矢の記憶
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2023.8.7
釧路市は、昭和7年8月1日、市制実施10周年記念事業として地名番地の改正を行います。「旧町名字名番地境界などを全管に渉りて解消した新たに50区域を附し実施の旨告示せり、字地番改正要旨は、地名は依然漁村時代の其の儘を踏襲…字界の如き不統制…」と釧路郷土史考が記述しています。
字地番改正により、真砂町、洲崎町、西幣舞、頓化、茂尻矢、阿寒太などの伝統的な町名が消え、道東の中核都市に相応した南大通、北大通などの近代感覚の町名が誕生します。

写真は、鶴ケ岱公園近くに見える茂尻矢の地名を伝える住吉町2丁目の天理教茂尻矢分教会の写真です。天理教茂尻矢分教会は、明治35年町田幸蔵さんが布教を始めます。同42年分教会が認められ、大正4年に分教会を茂尻矢番外地に建設し、同14年11月には現在の場所に移ったと、わがマチの人物伝に記述されています。
茂尻矢は、幣舞橋上流の釧路川左岸流域にあってアイヌ語で「川中の島の対岸の地」を意味する「モシリヤ」と呼ばれ、街並みの背後の丘陵に1751年(寛延4年)トミカラアイノにより築造されたチャシ─「サルシナイ(芦の生えてる川)チャシ」と呼ばれた「モシリヤチャシコツ」(別名 お供え山)があります。
この地に明治36年創業の草野製軸所(マッチの軸木生産)と同39年創業の釧路製材造船合資会社が操業し、釧路の木材工業の発展を支える職人の街並みが誕生します。また、大正8年庁立釧路女学校が開校し職人の街並みに女子教育機関が誕生します。
現在の大川町、城山町、住吉町の一部と材木町の街並みは、消えた町名茂尻矢の記憶を伝えています。




