伝えたい「蔵」の記憶(413)昭和44年のサンマ漁
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2022.4.25
秋の味覚を代表するサンマは、戦後の釧路の漁業の発展を支え、佐藤春夫が「さんま、さんま、さんま、苦いか塩っぱいか」と秋刀魚の詩を詠っています。秋の食卓を楽しくする魚で、青光りした、ぴっとした姿を漢字「秋刀魚」と表現しています。

戦後、釧路港でのサンマの水揚げは、昭和25年のサンマ豊漁に加え、前年24年のサバ大漁が「サバ・さんまブーム」と呼ばれ、復興に取り組む市民生活に明るさと活力を与えました。写真は、市民に活力を与え、秋を告げる幣舞橋周辺のサンマ船群です。
サンマは、冬から春にかけて北へ移動し夏から秋にかけて南下し、8月から10月にかけて道東沖を通過します。道東沖は暖流と寒流が交差して好漁場になり、全国からサンマ船が釧路港に集結します。
釧路港のサンマの水揚げ量は、昭和30年2万5101㌧、同31年3万9498㌧を記録し、釧路港の主要漁業別比率表を見ますと、同30年38.6%、同31年46.2%を占めています。このため昭和30年代がサンマブームと呼ばれますが、同40年頃から減少し、同41年1万5871㌧、同42年1万2362㌧、同43年6175㌧と先細りでした。
昭和44年8月25日の釧路新聞は「きょう中型船が解禁・道東4港から一斉に・179隻出漁」の見出しで、南下がいつもより遅いサンマ漁への期待を伝えています。不振挽回を目指した、この年のサンマの水揚げ量は、5011㌧でした。
サンマの不漁にもかかわらず、昭和44年の釧路港は、北洋漁業やサバのおかげで初めて水揚げ日本一を達成します。水産基地釧路の記憶です。




