その他 蔵の記憶
公開:2026/03/13 更新:2026/04/23

伝えたい「蔵」の記憶(374)丸三鶴屋 母の日広告

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2021.4.26

 母の日は、アメリカの少女が母の死をきっかけに「生きている間にお母さんに感謝の気持ちを伝える機会を設けるべきだ」と働きかけ、1905年頃に始まりました。子供は、母親に日頃の感謝の気持を伝える、花言葉が「母の愛情、女性の愛」のカーネーションやプレゼント、メッセージを贈ります。日本では、戦前にもありましたが、定着しなかったようです。昭和24年頃からアメリカに倣って5月の第2日曜日に行われるようになり定着しました。

母の日のプレゼント広告

 写真は、カーネーションと着物を着たお母さんへ「ありがとう」と呼びかけ、「ほしいほしいと前からいってた帯じめ…洗たく用のエプロン…なん足あっても役に立つ足袋…すてきなオサイフ…」などのプレゼントを推奨する昭和42年5月7日付釧路新聞に掲載された丸三鶴屋の母の日のプレゼント広告です。

 戦前戦後の厳しい環境を体験しながら子育てと家庭生活を支えた当時のお母さんへ、成人した戦後生まれの子供達が感謝を込めプレゼントする思いを伝えています。当時のお母さんが喜ぶプレゼントを広告で見ると、スカーフ、手袋、ブローチなどの洋服雑貨と帯じめ、半襟、草履などの和装雑貨のほか、家庭用品が集められていますが、和装雑貨が主流のようで、感謝の気持を伝えるプレゼントは、子供達が見たお母さんの着物姿の印象が強かった様です。

 昭和の母の日プレゼントは、戦後の女性のオシャレに洋装が普及しますが、プレゼントされた帯じめ、半襟などで装う結婚式、入学式、お正月などの着物姿のお母さんの笑顔を記憶しています。

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