伝えたい「蔵」の記憶(327)旭立体橋
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2020.2.24
釧路市は、昭和35年国勢調査で人口15万624人を数え、同30年比26.0%増を記録します。人口10万人以上の都市で札幌市を上回り6番目と驚異的な人口増加を示し、市勢の拡大が続きます。同36年は、釧路民衆駅完成、ステーションデパート開業、中心市街地北大通都市改造事業着手と道東の中核都市釧路の街づくりが始まります。

写真は、街並の近代化と人口急増、市街地の拡大、車社会の発展に対応して昭和38年10月15日に着工し同40年11月8日完成した、まさに躍進釧路の夢が実現した旭立体橋です。旭立体橋は、国鉄根室本線(現JR)と私鉄雄別線の上に建設された当時としては全国的に珍しいX型立体交差橋(オーバーブリッジ)です。
「きょう待望の夢の旭立体橋が開通」。道東の大動脈として産業活動の活力となり、鉄北と橋北を結ぶ「陸のかけはし」と旭立体橋の完成を昭和40年11月8日付けの釧路新聞が報道しています。戦後の人口増加により、鉄北への市街地拡大が続き、同34年は釧路江南高校の光陽町移転、釧路赤十字病院の新栄町移転。同35年は中園町に釧路労災病院が開院するなど、宅地化が進み街並みも拡がります。
「戦後四十年史」(釧路新聞)によると、旭立体橋以前の橋北と鉄北の交流は、踏切とむすび橋が支えているが、旭踏切の交通量は1日の遮断回数116回(6.6時間)、止められた車両6572台。昭和55年には2万4800台を予想し、踏切による交通遮断解決策として立体交差橋建設に期待と歓迎の声が記述されています。
旭立体橋は、躍進釧路の鉄北との交流シンボルとして多くの記憶を伝えています。




