その他 蔵の記憶
公開:2026/03/11 更新:2026/04/23

伝えたい「蔵」の記憶(326)駅前和商市場開店

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2020.2.17

 釧路駅は、道東の中核都市釧路の玄関口として戦前戦後の釧路の発展を支え、釧路駅を中核とする駅前の街並も、時代を反映して変貌していますが、戦後の駅前の街並の記憶を伝えるのが露店商です。

和商市場

 写真は、「年来の夢を実現、将来は模範的設備へ」と昭和35年4月28日の釧路新聞が報道した黒金町13丁目の和商市場。露店商の人達の悲願が実現した木造モルタル2階建の建物(1階店舗2階住宅)です。

 戦後の釧路は、昭和24年のサバの大漁と同25年のサンマの豊漁により「サバ・サンマブーム」が到来し、戦後復興を支えます。この時期に荷車やリヤカーに魚を満載して売り歩く露店が、北大通り4・5・6丁目の四ツ角(現北洋銀行、みずほ銀行)や駅前濱野薬局付近に見られました。

 露店は、早朝に仕入れた新鮮な魚を求めて根室本線、釧網本線、雄別線の沿線各地から来る「ガンガン部隊」と呼ばれた行商人に対応します。顧客であるガンガン部隊への便宜のためには、釧路駅に近い場所が最適で、露店商は釧路駅前の現在の阿部新聞店横やバスターミナル付近の空き地にリヤカーの店舗を開きます。

 昭和30年代初めの頃は、ガンガン部隊の他に春先になると郡部から山菜を背負った臨時の行商人もどんどん店を開き、まさに「芋の子を洗う様な混雑が繰り広げられた」と、駅前露店の賑わいを「和商の群像」が伝えています。其の後、露店商は、市の露店対策などにより露店商の組織化、店舗建設へむかいます。

 和商市場の新築開店は、賑わう駅前商店街の近代化への記憶を伝えています。

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